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2015年11月に作成された記事

2015年11月19日 (木)

トヨタAA型種類株の議論から見る「会社のブランド力」

第二東京弁護士会金融商品取引法研究会で、野村総研主任研究員・東大法学研究科客員教授の大崎貞和先生をお招きして、「コーポレートガバナンス改革と種類株の多様化」という講演をしていただいた。大崎先生は資本市場の研究者であり、金融審議会の常連で、新聞等で名前をみたことがある経営者も多数おられるであろう。この講演の中で取り上げられたのは、最近、トヨタ自動車が発行したAA型種類株という譲渡制限付優先株である。

トヨタが発行したAA型種類株は、当初1年は普通株より低い配当(2%程度)を行い5年の期間でそれを徐々に上げていって5年目には上限の2.5%になるという優先配当株であるが、議決権付きであり、発行価格は普通株の価格に対して約30%のプレミアム価格で発行され、株式の譲渡は取締役会の承認が必要であり、5年経過後にはトヨタに対して株主は発行価額での買い取り又は普通株への転換を要求できるというものである。

AA型種類株の募集が開始され始めてその内容を知った時、優先配当とはいってもトヨタのような財務が強靭の巨大企業が普通株式よりも低い配当の種類株では投資家はほしいとは思わないのではないか、ましてや、譲渡制限までついていて5年間エクジットできない種類株を買う投資家はどれくらいいるのかと思った。ところが、これが個人投資家には人気で売れたのである。

機関投資家はカストディアンを通じて保有するので、譲渡制限がついている株は保振の決済も不可であるから、トヨタは引受側の野村証券に依頼してこの株専門の決済システムを整えたという。しかし、カストディアン名義では真実の所有者が誰かわからないので、カストディアン名義では保有は認められないということにしたようである。そこまでコストをかけためずらしい設計の種類株で、トヨタは何を目指したのであろうか。

その目的は、個人で中期にわたり保有してくれる株主をつくるということであった。トヨタの製品はいうまでもなく自動車であるが、それは車の所有形態がどうであろうと個人が運転して使用するものであるから、ビジネスは個人との結びつきが非常に強い。ところが普通株の個人株主比率は市場平均より低く、個人の意見をもっと経営に取り入れたいというのがトヨタの長年の希望であったそうだ。そのためにカストディアン名義で保有する機関投資家はご遠慮願ったということらしい。

AA型種類株を購入した個人投資家は、①5年間譲渡制限があってかまわない、②優先配当といっても普通株式の配当より金額が低いのもかまわない、③トヨタが5年経過後は発行価額で買い取れること、或いは普通株に転換した時点で損はさせないだろうということに絶対的な信頼がある、④発行価額が普通株より高いのも構わない、⑤トヨタに意見したいときは議決権があるから総会で発言できる、という人々である。これは一言でいえば、「トヨタファン」である。

大崎先生は、マネジメントに好意的な個人株主を作る種類株に何か問題あるかといえばかまわないのではないか、という意見を述べられた。我が研究会のメンバーもそういう意見が多い。AA型種類株は新手の持ち合いだと批判する方もいるようだが、持ち合いの場合は経営陣に批判的な議決権行使を自粛するインセンティブがあるが、これはそういうものではないから、その批判はあたらないという理屈だ。しかし、ファンというものは文句はいうが、そうそうNOはいわないものだから、経営陣に批判的な議決権行使が現実におこる可能性があるかというと、私は限りなく低いと思う。

ところで、AA型種類株を見た企業から、うちでもできないかとの問い合わせがたくさん来ているらしい。ということは、トヨタがどう考えたかは別として、「うちもファンクラブを作りたい。」と考えている企業がたくさんいるということである。なぜそんな企業がたくさんあるのかという点について、大崎先生は、「上場企業の多くは、機関投資家の声だけに耳を傾けることが中長期の企業価値向上につながるかどうかを疑問視しているのではないか。」と見解を披歴された。

機関投資家には短期志向とみるべき点が少なくないし、機関投資家自身が運用パフォーマンスを短期で評価されているから、視点は短期になりがちだからというわけである。確かに機関投資家には短期志向の傾向があるとはかねてから指摘されており、スチュワードシップ・コードでも、その点に言及して中長期的成長を促す行動を機関投資家に求めている。しかし、私は大崎説は疑問だと思っている。それはこういうわけである。

私はFINMACで金融商品トラブルのあっせん委員を長年務めているが、個人投資家のレタラシーが高いと感じたことは正直いってない。有価証券報告書は通常読んでいない。証券会社の担当者の推薦や、好意的な新聞記事や雑誌の類を読んで取引している人々が圧倒的多数に思える。ほとんどの個人投資家の売買の動機は短期での売買差益であって、機関投資家以上に短期志向ではないだろうか。

そういう個人投資家がAA型株を購入するのは、トヨタファン(車あるいは会社のファン)であるからだろう。しかし、日産が好きだ、あるいはホンダが好きだという人は買わないだろう。芸能人のファンクラブだってその芸能人に人気がなければ増えないのは自明の理だが、自動車のように保有期間が3~5年程度の商品の場合には、そのファンが増えれば増えるだけ、さらに製品は継続的に売れていく。トヨタが狙ったのは二兎をおった「ファンクラブ」の創設だったのではないか。だから、AA型種類株はファンクラブの入会証みたいなものである。

トヨタ以外の企業がAA型種類株発行を考えているのは、機関投資家のいうことは疑問というところから出発しているのではなく、まさに自社にも「ファンクラブがほしい」ということではないだろうか。しかし、その企業が扱う商品やサービスがファンクラブのような性質にあうかどうかはわからない。また、芸能人のファンクラブと同じように、個人投資家に対するアピールがなければ種類株は売れないだろう。

つまり、マネジメントに好意的な個人株主を作る種類株を発行できるような企業は、その企業の作り出す製品に対する高評価、着実に成長し株式市場において良好なパ フォーマンスを維持している実績、今後も成長できそうだという戦略、それを実行しているマネジメントに対する高い信頼等といった条件を満たすものでないと困難だということである。これらの条件を総称すれば企業のブランド力、有報を見なくても、その名前を聞けば「いい会社」「裏切らない会社」等といったイメージを確立できる力である。

また、機関投資家でも運用担当者は経営経験がある方々ではない。個人投資家より多くの情報を分析して投資判断を行っているのであり、その結果が短期保有になるとしたら、やはり投資対象である企業のブランド力を構成する要素に問題があると考えるべきなのではないだろうか。規模の大きい機関投資家ほど個人よりも、中長期に保有して安定的に運用できるほうがコストも手間もかからずいいのであるから、中長期保有を促すのは企業のブランド力だと思う。

AA型種類株の発行を考えるなら、経営者は「私の会社のブランド力とは何か」についてもう一度考えた方がいい。最近は(というかずっと)企業不祥事が多くて、ブランド力を確立するための反面教師がたくさんいる。杭打ち工事の会社の社長はデータ改ざんについて「ほかでもやっていること」と発言した。自社のブラント力は「工事に対する信頼」であり、「エンドユーザーからの信頼が壊れれば発注もなくなる」し、「エンドユーザーに向き合っている販売会社に対する信頼をも棄損している」ということに考えが及ばなかったという好例だ。このような蹉跌を踏まぬためにも、その会社にとって何が成長させる原動力になるのかを見つけるためにも、自社のブランド力、それを構成する要素を今一度評価することのほうが、ファンクラブ創設には早道である。

2015年11月11日 (水)

五郎丸の言葉をきっかけに「現在を変える」を考える

NHKの番組に出演していた五郎丸が、ワールドカップラグビー日本代表選手の強化過程で感じたことを3つの言葉で言い表した。その中でもとても印象だったのは、五郎丸が語った元日本代表ヘッドコーチ、ジョン・カーワンの次の言葉だ。

「現在を変えられなければ、未来は変えられない。」

五郎丸はおおむねこう語った。「ある日、ジョンが皆に、『お前たち、過去、現在、未来のうち、変えられるものはどれだ。』と聞いたんですね。『過去は変えることはできない。でも未来は変えることができる。』というと、ジョンは『ちがう。まちがっている。』といったんです。ジョンは『現在が変わらない限り、未来を変えることはできない。だから今やっていることに集中して、どうしたら勝てるようになるかということに、今集中することが大事なんだ。それができない限り、絶対に未来は変わらない。』といったんですね。その言葉は自分の胸にとても残りました。」

もう一つ、五郎丸が語った印象に残る言葉は、こうだ。

「日本人が強いフィジカルをもてないというのは、常識ではない。」

「日本人は強いフィジカルを持つのは無理だから、足でかせぐというのは常識と思われていたし、今でもそうだけど、そんなことは絶対にありません。そういうのを常識と思い込んでいたにすぎません。」と五郎丸は語った。

現在をどう変えるか、それを本気でやらないと未来が変わることがない、というのは当たり前であるが、しかし、我々はそれをしばしば忘れるものだ。現在の課題をきっちりとこなしていかなければ、未来は変わらない。これは経営にとっても当たり前であるが、しばしば忘れられている話だ。

私がそれを特に思うのは、日本企業では、対外発表する目標数値とちがう対内目標数値をしばしばもっているという事実を考えるときだ。対内目標数値はいわば企業が最大のパフォーマンスを発揮したときの数値で決して虚構の数値ではないが、それより実現が可能であろうと思われる数値を対外的に発表する。これに気づいたとき、外資系でずっと働いていた私には大きな違和感があった。外資系では別の数値を対外発表することなどないからだし、弊害があると直感的に思った。そして今はそれは確信に変わっている。ちょっと、話は長くなるがこういうことである。

「社内的な経営目標数値は少し対外発表目標数値を上回っているし、社員には社内目標を達成することを求めて皆が頑張るのだから問題はない。」と、どうも経営者は思っているようだ。だが、社内目標数値が達成できないほうが多いなら、問題を育てるだけだということに、どれくらい経営者は気づいているのだろうか。

法律家としては、そもそも上場企業のディスクロージャーとしていかがなものなのか、かねてから疑問に思っている。社内的な目標数値を経営者が決めているならそれが重要事実であって、それと異なる数値の対外発表を行うのは、達成できなかったときの批判を避けることのみを目的とするものであり、それ以外の目的はない。株主や市場に対して不誠実だし、不適切なディスクロージャーにならないのかという点についても疑問は払拭できない(違法とならないという理屈はたつであろうが、不適切感は残る)。

それ以上に問題なのは、社内目標数値には届かないが、対外発表数値には届いている(あるいはほぼ達成している)という場合におこる意識の問題だ。どういうことが起きるかというと、当然、株主やアナリストからは文句はでない。対外発表数値を達成した、あるいはそれに近い業績を残したということで、よくやりましたねということになるし、それがラッキーなことに3年も続くと経営者としてすばらしいという話になりがちだ。経営者はほっとし、社内もほっとする。その結果、ベストパフォーマンスの象徴である社内目標を達成できなかった原因の分析はおろそかになる。商売のやり方が変わることもない。社内目標数値が達成できなかったことに対する信賞必罰もない。経営者も特に責任もとらないし(とるインセンティブが働かない)、従業員も責任を感じない。企業において「責任」という言葉の空洞化が始まるのだ。

また、経営をしていれば、対外発表数値は何とか超えそうだ(あるいはかなり近い)とある程度事前にわかる時期、俗にいう着地点が見えてくる時期がくる。そうすると、それがわかったとたんに、今やっていることを変えようとしなくなる。そこでさらなる改善は一切消え、社内目標を達成しようとするモチベーションも消える。それだけでなく、社内目標を達成できなかったことに対するくやしさという気持ちは、まったく生まれてこない。社内目標はどこかの時点で単なるお題目となる。目標達成のため、現在を変える最善の努力をしようという気持ちはどこかへ行ってしまう。

おわかりだろうか。責任感も現在を変える気持ちも失せれば、未来が変わるわけがない。ベストパーフォーマンスではなく、まあまあの結果でつねに満足し、誰も責任をとらない社内カルチャーだけが残っていくだけなのである。社内目標が達成できなくなってもいいじゃないかという意識が、「無意識」のうちに経営者にも従業員にも植えこまれていく。その結果、本来企業がもっているポテンシャルはじわじわと奪われていく。そういう企業には、社長がいくら5年先、10年先の未来の企業像を語っても、そのような姿になることは不可能だ。

日本代表のヘッドコーチに就任したエディ・ジョーンズは、ワールドカップ最低1勝、準決勝リーグ進出の目標を当初から掲げ、対外公表した。それを達成するために、日常のトレーニングから徹底的に見直した。まず、日本人は強いフィジカルを持つのは無理だ、という「常識」に挑み、選手に苛酷な肉体改造を求めた。4年間、首と背筋というスクラムとタックルを行うのに重要な部位に徹底したウェイトトレーニングを施した結果、日本代表の筋力は外国代表選手から若干見劣りするレベルまで鍛えあげられた。まさに、常識と思われていることを疑い、現在を変えることにより、未来を変えたのだ。ワールドカップで見せた日本代表の力強いスクラムとタックルは、その準備の成果を如実に表し、自分よりランキングがはるか上の南アと強豪サモア、さらに米国を打ち破って3勝という輝かしい記録をうち立てた。残念ながら3勝したのに準決勝進出ができなかった初めてのチームということになったが、世界が日本代表チームを賞賛し、認めた。

経営者にはなぜそれができないのだろうか。私も、「ラグビーのようにルールが一定している世界では、現在だけフォーカスしてればいいのではないか。10年先未来なんて考えなくていいのではないか。だから経営とはちがうのではないか。」と考えた。というのも、経営の世界ではルールが変更になることはたくさんあるからだ。しかし、経営の世界でのルール変更など、規制が大幅な変更にならない限り、企業行動を大きく強制的に変えたりビジネスに致命的な打撃を与えるものではない。独禁法や金商法の課徴金制度導入は企業行動に大きな影響を与えたが、そういう大きな規制の変更はやはり20年に一回程度しか起きていないのだ。そんなことはスポーツの世界でもある話だ。スキージャンプなんてその典型だろう。強い日本をへこますためのルール改正であったが、それを乗り越えて日本スキージャンプ界は復活してきたのだ。体操競技もしかりであるし、11人制ラグビーでもしかりだ。やはり、経営者にいい言い訳はない。

尊敬されている経営者は未来を語る。日本人、あるいは日本のマスコミは特にそういう経営者が大好きなのである。そして私たちもそういう方々のビジョンを伺い、中長期を見通す経営の重要性をしばしば聞かされ、なるほどと思う。しかし功を成し遂げた方はある意味、もっとも旬な時期は過ぎているのだ。それに未来のビジョンは確かだとしても、それにしたがって5年後に企業を大きく成長させられる経営者は少ない。ビジョンを聞いて我々は大きく業績をのばしました、なんていう経営者にはそう簡単にお目にかからない。結局、将来像が描けても、今現在をどう変えていくかということにフォーカスできなければ、大きな企業成長はおこらないし、起こりうるはずもないのだ。

大きな成長を実現するリーダーはまちがいなく、「現在」を変える努力を惜しまない。今、やっていることのパーフォーマンスを上げることに注力する。言行一致、対外発表も対内目標も同じで、「現在」を変えようと最大の努力をし、万一、数値が達成できなければ批判や責任をとることを恐れない経営者がいてこそ、従業員も「今」に真剣に取り組む。経営者がそれを望めば、それは起こりうることである。しかし、経営者が現状維持でいいと思えば、そうなるだけの話である。

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