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2015年10月27日 (火)

5分5分のリスクの取り方は状況次第

私の知人にW氏という人がいる。英国系法律事務所に勤務した後にゲーム開発会社の社内弁護士に転じ、今は別の会社で社内弁護士をしている優秀な若者である。その彼が、転職通知とともに最近ある雑誌のコラムに「イノベーションを支える弁護士」という題で寄稿し、その記事を送ってくれた。彼はその記事の中で、イノベーションを支える法律家の在り方について考察をしているのだが、キーメッセージとして、Googleの会長エリック・シュミット氏の著作「How the Google Works」から、以下の言葉を引用している。

「法律問題に対して過去を振り返りながらリスク回避を最優先に取り組むという姿勢は、インターネットの世紀には通用しない。企業の進化が法律の変化を遥かに上回るスピードで進むからだ。スマート・クリエイティブ主導でイノベーションを起こそうとする企業の場合、正解率が50%なら儲けものだが、リスクの許容度が数%である弁護士にとってそれは大問題だ。」

この言葉にW氏は深く共鳴しているようだ。彼は自分のことを顧みて、リスク回避を最優先に取り組むという姿勢そのものであり、ゲーム開発会社で日本発の新規事業につき、文献の裏付けがないため事業部に対して許容できないリスクとしてNGを出す寸前だったが、行政も含む社内外関係者とさらに議論してゴーサインが出せることになったという体験を語り、自分は「リスク回避を最優先とする弁護士」であり「イノベーションを支える法律家ではなかった」と自省するのである。

私が要約しているので、わかりにくいと思うが、皆さん、シュミット氏の言葉とW氏の言葉は同じことをいっていると受け止められるだろうか。私には、別なことを言っているとしか感じられないのである。それはこういう理由からだ。

米国では、規制のない、あるいははっきりしない分野のビジネスはできて当然だという感覚がある。営業の自由は合衆国憲法が保護するところであるから、たとえ規制と規制のはざまにあり適用法規がはっきりしなくても、あるいは合法かどうかがはっきりしなくても、それは営業の自由を妨げる理由にはならないのだから、実行しても何ら非難されるべきところはないというわけである。さすが、自由の国アメリカであり、実行してしまうのが米国人の感覚として普通なのだ。シュミット氏のいわんとするところは、この発想にのっており、アグレッシブである。新規のビジネスが、もしかして他人の財産権を侵害していると判断される可能性や違法となってしまう可能性があっても、50%の確率ならばやってしまうというスタンスと読める。これこそ、彼がリスク許容度が数%と弁護士を批判している本音である。つまり、合法であるか違法であるか、5分5分であってもインターネット時代ではやってしまうべきといっているわけである。

シュミット氏の指摘する通り、新規ビジネスでは規制の後追い現象が起きるのが常である。インターネットの世界はむしろ新しいビジネス分野であり、古くは自動車がそうであったし、1990年代~2000年代前半の金融の世界もそうであったから、インターネットの世界が特別であるわけではない。ただし、そのスピードが全てのビジネス分野でいままでのビジネスに比較してかなり早いという点は違いとしてあるだろう。

しかし、シュミット氏は、違法の効果が民事の損害賠償だけですむのか、行政罰だけなのか、それらの金額とコストはどれくらいなのか、刑事責任も追及される可能性があるのかという点には一切ふれていない。しかし、懲役刑を伴うような刑事責任、特に「自分に」刑事責任がかかる可能性が50%あるような場合、米国のコンスピラシーの理論の下、共謀罪が比較的簡単に認められる法制のもとで刑務所にいかなれけばならないようなリスクを好んでとるとは到底思えない(シュミット氏がそういう立場ならばこれはlunaticというべきであろう)。あるいは、民事賠償金や行政の制裁金が巨額となるようなものである可能性が5割あるならば、あえて実行する経営者もあまりいないであろう。

このように、当該事案におけるリスクが、どの程度の金額の損害賠償でおさまるのか、行政的制裁のレベルはどの程度なのか、また、刑事責任の可能性まであるのかという点で、5分5分の違法可能性のリスクを経営者が拾うかどうかはちがうはずで、シュミット氏の言葉をどのような場面でも額面どおりに当てはめることは、シュミット氏のいわんとしていることを単純化しすぎである。シュミット氏の言葉は、インターネットのイノベーションの中で、あらたなビジネスについて規制当局とのバトル、あるいは他の権利者とのバトルが発生しても、それが民事的争いであるかぎり、リスクが5割あっても突き進むということであろう。もしGoogleのカルチャーがそうであるなら訴訟社会米国において多数の訴訟から逃れられないだろう。しかし、それでも可とするのがシュミット氏の考えであるならば、この会社の法務責任者となるのはかなりの勇気のいることである。

これに対して、W氏の場合は、文献に裏付けはないが、行政も含む関係者と議論して、合法であるというロジックを発見し、それがかなり耐えられる議論であるからサインオフしたという話と読める。つまり、それこそ「リスクを回避できる確率を高める」ところまでロジックを固めて、行政当局とも話して、当局もあえて違法とはいわないというところまでもっていっているという話であり、文献の裏付けはないが努力した結果、違法の確率がかなり減ったという話なのである。

かくして、W氏の話の事例とシュミット氏の言葉が想定する事例ではかなりの差があるので、私にはなぜW氏が自分のことを「リスク回避を最優先とする弁護士」であり「イノベーションを支える法律家ではなかった」と自省するのかがわからないのである。彼が反省すべきは、文献にないからといってあきらめようとした消極的態度を取ろうとしたという点であり、リスク回避をしようとしたことではない。

もし、シュミット氏の考えを日本の金融の世界で実行したらどうなるか。もし新商品を行政当局が検査において違法認定したとしたら、業務改善命令はさけられない。経営者まで違法の可能性が五分五分であると知っていながら商品を世に出したとされれば、まちがいないく経営責任を問われるであろう。さらに、それにOKを出した法務担当の弁護士については組織内で責任の所在・処罰を明確化するように求められるから、だいたいは辞任するほかないという状況になる。さらに、もし投資家に損害でも出すような商品を出したということで、経営者は善管注意義務違反の損害賠償訴訟を提起されるかもしれない。さらには、米国であったらSECが包括規定をつかって証券詐欺で刑事責任を追及するかもしれない。特にSECの調査は苛烈で非常にコストがかかる。本当に起訴されてしまえば、ビジネスマンとしての命運は尽きる。

ところで、一般に法的リスクが高いものでストップをかけようとすると、ビジネスマンは「弁護士はビジネスマインドがない」といって、リスクを取るべきことも考えろといいたがる。ビジネスマンはどうしてそれをとろうとしたがるのか。インターネットの世界ではスピードが必要だからということがいわれる。しかし私はこの答えは一面しか指していないと思う。どのビジネスでもスピードが肝心だからだ。もう一面の答えは、「莫大な利益」である。そう、新しいものを作り出した創業者のみが得られる創業者利益、これをビジネスマンは貪欲に求めている。つまり、「金貨」なのである。経営者やビジネスマンの使っている天秤には、右に金貨、左にリスクの重りが載っており、その左の天秤の重りの一部に法的リスクと書いてあるだけなのだ。ところが、法律家の天秤には右に「合法となる事情」、左に「違法となる事情」がのっているのだ。しばしばビジネスマンには見逃されているが、用いている重しがまったくちがうのである。

にもかかわらず、ビジネスマンはいう、「法律家もビジネスマンと同様に考えろ」と。しかし、経験をつんだ弁護士は知っているのだ。いざとなったらビジネスマンは、「うちの弁護士がOKといったから私はやったんです。責任は私ではなく、OKといった弁護士にあります!」ということを。つまり、ビジネスマンは弁護士を使ってリスクヘッジをするものなのである。実際、私は金融の世界でそういう態度をとってきたフロントの人間をたくさん見てきた。そういう声に押されて、結果として検査で違法とか不適切とされ、責任をとって会社を去らなければならなくなった数多くのコンプライアンス・プロフェッショナルもさんざん見てきた。

誤解しないでほしいが、私はビジネスマンを非難しているわけではない。金貨を片方の天秤にのっけている限り、それは、ある意味、自然な対応なのだ。彼らの使命は収益を上げることである。しかし、彼らは法的リスクの責任はとりたがらないし、ヘッジする。リスクヘッジも大切なビジネスのスキルだから、社内の他の部門が責任をとることという組織の建前を使って、自分を守ろうとする。ビジネスマンの本能であるから、できるビジネスマンほどやりがちである。それに会社には法務をはじめとするリスク管理部門が設置され、それぞれが責任を持っているから、その意味ではビジネスマンのいっていることにまちがいはない。ここでの核心的問題は、ビジネスマンの使命と法務マンの使命がぶつかるような状況がでてきたときに、どちらを優先するのかという経営判断なのである。自分がその点について、どういう社内状況を許しているのか、経営者はよく考えてみることが必要である。そして、それぞれの部門がその職責を全うできるような環境をちゃんとつくっているかを、自問自答してほしいと心底思う。

経営者は各部門に期待する。営業部門には仕事をとってくることだ。製造部門には品質よい商品をタイムリーに生産し供給することだ。それと同じように、法務部門と社内弁護士に対しては、経営者が期待するのは、プロとして合法か違法かの確率はどれくらいなのかという評価とどうしたらリスクを減らせるかである。それは重要な仕事なのだ。だからこそ、外資系では、一会社員であるのに日本の一流企業の社内取締役の平均報酬以上の高い録をはみ、召し抱えられていたジェネラル・カウンセルがいたし、現にいるのだ。そういう機能を果たす者に、経営者の判断基準を押し付けたら社内弁護士は仕事はできない。これをまず経営者は理解しなければならない。

もちろん、ビジネスを推進するためにいるという目的は弁護士も当然わかっていなければならない。だから闇雲にNOといわず、文献がないからなどという他人依存の態度はすて、合理的な論理構築でなんとか突破できないかと知恵を絞り、当局を説得する努力を惜しむべきでない。しかし、がんばって検討を行った結果、刑事罰や巨額の民事損害金、行政罰とその結果生じる高いレピュテーションリスクが予見されるような違法の可能性が5分と5分と判断される時に、弁護士がいうべきことは、「リスクは高すぎるので賛成できない。」ということにつきる。

問題は、そういわれてもあまりに期待収益が大きいようなプロジェクトでリスクもかなりあるような案件、いわば社運をかけたような案件の場合に、最終判断は誰がするのかである。法務の責任は法務の最高責任者がとるのが当たり前だが、それでも5分の可能性にかけてやりたいとビジネスが望むときには、進むか退くかを決断し、責任をとるべきなのは法務の責任者ではない。経営者なのである。つまり、クライアントがプロからリスクが高すぎるよと言われても、それでもあえてやるんだといってリスクは「自分が」とるということである。医者の世界で非常に危険な手術をするかどうかは説明を十分受けた患者が決めるのだ。そして決断したあとに、なにがおこっても医者の責任を問うことはないという書類にサインして、手術を受ける。それに似ている事態だが、社内弁護士はそういう書類は要求できない。

ビジネスマンがアグレッシブ一方で、法務やコンプラを一方的に非難し、他方で実行後問題になったときに法務やコンプライアンスがOKといったからやりましたというような組織は、経営者が悪いのである。すべては、経営者の姿勢から発している。つまりは、その経営者の倫理観、勝負勘、度量が全て重大かつ重要なリスクテイクの判断の際に出る。

ちょっと冗長になってしまったが、結局は、リスクが5分5分といっても、問題の種類によってリスクを取るかどうかの判断は全然ちがうということである。5分5分の状況の時にとれるリスクもあれば取れないリスクもある。そこを捨象してしまい、シュミット氏の言葉をどのような場面でも適用すべきだと考えるのは、危険だ。シュミット氏の言葉の薀蓄は深い。だからこそ、よく噛んで咀嚼しないと消化不良をおこす。飛びつく前によく考えよう。

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