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2014年9月に作成された記事

2014年9月 8日 (月)

モニタリング・モデルと会社法ー藤田友敬論文を読んでわかったこと

商事法務2014年7月15日号の藤田友敬教授の『社外取締役・取締役会に期待される役割―日本取締役協会の提言」を読んで』を読了した。上場会社の社外監査役の立場で実務をしつつ他の上場企業に弁護士としてアドバイスを提供してきましたが、協会のようにガバナンスの点から経営改革を促進しようとする立場の立論と、現場の感覚の乖離や会社法との乖離に、もやもやとした感じをこの6年間抱いてきましたが、この論文を読んで、自分の中で、これらの乖離の整理がなんとなくつきそうな感じがしています。

藤田論文は協会の提言について『従来の判例・学説で説かれてきた「日本的」な取締役の善管注意義務・監視義務等を前提に、社外取締役の性格に応じたニュアンスを若干加えて敷衍するものが多いのに対して、取締役会および社外取締役の役割と機能、とりわけ「監督」、「監視」の意味を、モニタリング・モデルの考え方を踏まえて再定義している点に特徴がある。』とし、協会のモニタリング・モデルは我が国において伝統的に説かれてきた取締役会の監督機能およびそこから派生する取締役会の監視義務とは、言葉は似ていてもその内容が大きくくいちがうことを指摘しています。

このブログでも、従来から米国型のガバナンス・モデルと日本型のガバナンス・モデル、そしてそこにおける取締役会のあり方について違いを指摘してきました。米国型のガバナンス・モデルがCEOを頂点とする経営陣に強力な権限を持たせ、取締役会はCEOらの選任・解任に大きな権限をもってこれを監督し、CEOは自分と会社を守るために自らの下にジェネラル・カウンセルをトップとする法務コンプライアンス機能、CFO・COOを頂点とする財務・経理・税務機能、それに営業部門のそれぞれのトップによる執行機能など、専門的知識経験を有する専門家集団を各機能に配置する内部統制を構築し、さらに、各組織に横串となるコミッティなどを設置して、組織形態をマトリックス化し、執行の企画・検討・承認・実行の業務プロセスにおけるリスクの認識と対応、情報と伝達を盤石にしようとしていす。この体制のもとでの組織の特徴は、誤解をおそれず一言でいえば軍隊に近く、スピード感ある決定と執行が可能となります。

ところが、日本では下からの積み上げ方式(あるいは役員の神輿方式)で組織の意思決定が行われてきており、この方式は本質的に変化していないものと思われます。たとえば、大型のM&Aや業務提携などは、日本の規模の大きい上場会社の中では企画部門が中心になり秘密裡に立案され、実行の過程でも業務担当取締役や執行役以下の執行部門が中心になり実行に至るまでの各種検討が行われて、社長にあげられ、取締役会への上程は一番最後となります。そこまでの過程において、執行部門の中で練り上げられていきますから、取締役会に行きつくときは、ほとんど最後の段階です。むしろ、非上場の中小企業のほうが社長の鶴の一声で大型案件の実行が決まることが多いと理解しています(ただし、米国上場企業との違いは内部統制がきわめて脆弱ですから、案件の検討はきわめて不十分である点が大きな違いです。だからオーナー系のところほど米国型のようなモデルで内部統制を作るほうがいいと感じています。)

藤田論文は、日本の会社法改正の歴史を振り返っています。それによると、形骸化した取締役会を実効あらしめるために、昭和56年改正により取締役会の業務執行の決定権限とともに監督権限が明記され、昭和49年改正で監査役に与えられた業務監査権限とともに取締役の他の取締役に対する監視義務の枠組みを与え、さらに昭和56年改正で取締役会の専決権限を増加させ、これにより常務会等の下部機構に委ねられて取締役会が機能低下した事態に対処させようとしたと説明しています。なぜこれをしたかというと、「取締役会が業務執行を決定する機関であるという建前を堅持しつつ、具体的な経営事項の決定をさせることを通じて、取締役会の監督機能を充実させようという考え方」をとったからであり、これにより、「取締役会はある程度以上の重要性のある取引については個別取引ごとに具体的に取締役会で決定することを要求するものと解釈され、それに沿った運用がなされてきた。」と論じています。

このように指摘して、さらに藤田論文は、取締役会の形骸化に対する米国の改革が日本とは真逆になったといっています。すなわち、米国では取締役会は業務執行の決定ではなく、業務執行者の監督を行う機関であるという位置づけがなされ、そのためにいかにして取締役会の独立性を高めるかということが、コーポレート・ガバナンスの基本的課題と認識されていくことになり、それがモニタリング・モデルとして世界標準として受容されたと論じています。

このような歴史を垣間見ると、我々が、会社法とモニタリング・モデルとの整合性について違和感を感じている理由も明確となります。会社法の取締役会設置会社そのものがモニタリング・モデルとはちがう発想でできているからにほかなりません。唯一、モニタリング・モデルを取り入れたのが委員会等設置会社ですが、法が用意した取締役会決議事項の執行役への委任が進んでいないので(藤田論文の指摘)、委員会等設置会社であっても業務執行決定機関としての色彩を色濃く残しているのが日本の委員会等設置会社であるといえるでしょう。

どちらのモデルも経営に敵対的ではありません。米国型も日本型もつねに執行の企画立案、検討、決定、実行の能力を高めようとする点ではまったく同じであり、それぞれに長所も短所もあります。

それではどこが違うのか。ここからが私見ですが、大きな違いは、3年―5年後に時価総額をたとえば何倍にするといったような大きな経営目標の立案とそれに向けた執行を迅速にできるかどうかという観点からみると、日本型モデルは見劣りするということであろうと思います。

米国企業には企画部門というものはありません。しかし、大型のM&Aは日本よりずっと盛んであり、自分が必要なビジネスならば、あっというまに買収で付け加え、また効率が悪いと判断するビジネス部門は売却するか整理するかして常に企業の中に新陳代謝をおこしています。自分のビジネスのポートフォリオをつねに見直し、入れ替えをするのに、日本のように取締役会までもっていって、あまり実情を知らない社外取締役に一生懸命説明する必要もないわけです。ビジネスをよく知るCEOあるいはビジネス部門のトップが、管理系部門の支援を得ながら迅速に検討し実行できます。このスピード感の違いが大きいと思います。米国とドイツの日本法人でシニアのポジションで働いた知見、今の上場会社の社外監査役としての、あるいは上場会社の弁護士としての知見の双方から見て、それこそが違いなのではないかと感じます。そして失敗が若干あっても、それを許してやるというシステム(IndemnityやD&O保険およびそのコストなど)も向こうのほうが上です。

だから日本でスピード感を保ちながら攻めの経営ができているところは、日本型ガバナンスモデルに何らかの工夫をしているはずです。まず、執行の企画立案能力がよほどいいにちがいないと思います。そこに対するCEOの影響力も強力であり、またCEOの理解力、構想力、カリスマ性も備わっているような会社でしょう。そのような会社は日本企業の風土では独裁者的色彩が強まっていると見えるし、実際そうなのでしょう。そのような会社の取締役会では、強いリーダーであるCEOが個々の取締役を凌駕する説得力をもって乗り切っているか、あるいは、個々の取締役の役不足か、大きく分ければそのどちらかになるのでしょう。つまりは、他からみると取締役が監視義務を果たしているのかどうかがみえにくいし、もし見落としがあったときには個々の取締役は監視義務違反に問われるリスクが少し高いのかもしれません(もっとも最高裁の動きは個々の業務執行取締役に対する信頼の原則の適用を広く認めるようになってきていますが。それに訴訟が全然少ないからリスクが顕在化する割合もぜんぜんちがいます)。

ただし、米国型と決定的にちがうのは、もしそのような経営者が計画実行を失敗し、あるいは重要なリスクについて十分な注意を払わないままに大きく失敗して企業価値を棄損し、あるいは将来の企業の成長に黄色信号をもたらしたときに、その経営者に対してだめだしするガバナンス機構がないということです。日本ではそれは経営者の自制、銀行からのプレッシャーなどによって交代がおこっているように思います。もちろんまったく自制がないままにいすわってしまう経営者もいるわけですが。

非オーナー系上場企業では、その成長について構想が違うから、成熟したマーケットで現在のポジションと業績をそこそこ継続すればいいと考えているところは、モニタリング・モデルなんてまっぴらごめんということになるでしょう。経営者の企業成長に対する構想力と実行力が、経営経験のある社外取締役らに非常に試されてしまうわけですから、そんな環境で経営者としての力を試されるのはたしかにしんどいことでしょう。

しかし、日本企業が問われているのは、ミクロ的意味の内部統制もさりながら、マクロ的意味でのガバナンス、企業価値増大のガバナンスという点であり、それがここ10年叫ばれているわけですから、モニタリング・モデルに対する期待値が投資家からあがるのは無理もないことです。

そして安倍政権のもとでも、経済活発化による企業価値の増大が政策の成功不成功を決めるということになってくるわけですから、ガバナンスに対する関心が強くなるのは当然のことなのです。日本経済を停滞させている一因は成長を止めている日本の大企業群にあると政権内部で見ている人がいるはずです。そこにメスを入れなければ成長がありえないならば、経済政策も成功せず政権も維持できない。そうであるならば、政治は必ず制度をいじることになるでしょう。ガバナンス改革は本当の意味でまったなしに入ってきたと思います。

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