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2010年9月に作成された記事

2010年9月18日 (土)

佐藤剛氏が伝える米国のコーポレート・ガバナンス論の現状(1)

商事法務から出版された佐藤剛氏の『金融危機が変えたコーポレート・ガバナンス』を読んでいます。

本屋で青い本と表題が目につき、手に取ると、久保利英明先生の序文がついており、それを読んで佐藤さんの経歴にびっくりしました。日立化成の監査委員長をされて、退任後の65歳でUniversity of Southern Californiaに留学。MBAコースとロースクールで米国のコーポレート・ガバナンスを研究され、エクゼクティブとして働いて身に付けたご自身の日本のコーポレート・ガバナンスの知識と経験を重ね合わせて、ハイブリッドガバナンスという提案をされているとあります。この序文に度肝を抜かれ、立ち読みではもったいないと一冊購入し、拝読しています。それにしても、佐藤さんの情熱、すばらしいですね。今は早稲田のロースクールに在学されているようですが、脱帽です。

この本は論文というよりは、ビジネスマンが書く平易なレポート風の内容となっており、在米中に意見交換をされた米国の学者や全米取締役協会(NACD)の方々の写真や交友の思い出などがちりばめられて、大変読みやすい内容になっています。

その本の中でNACDが2008年10月、金融危機直前に提案した『10項目の基本原則』が解説されています。そして金融危機の勃発をうけ、緊急に対応すべき課題として、「リスクのオーバーサイト」、「戦略のオーバーサイト」、「役員報酬の承認」、「ステークホルダーへの説明の透明性」を取り上げ、それについて解説がされています。これらはいずれも非常に興味深いものであり、日本のコーポレート・ガバナンスを考える上でも参考になるものばかりですが、疑問があるものもあります。そこで、私が疑問に思った点をここに記しておきたいと思います。

1.NACDの提案の疑問①-リスクのオーバーサイト

今回の金融危機の原因について、NACDも大方の見方と同じように、米国企業がリスクのオーバーサイト(監視)の実行が伴わなかったことに一因を求めています。リスクのオーバーサイトを実践する前提として、企業のトップダウンでの高い倫理観、法を守る強い姿勢、社内の信頼関係を育む企業文化の確立が必要で、そのような中で取締役会のリスク管理が重要な仕事とされています。ここまではまったく異論はありません。興味深いのはここから先の議論です。

リスクのオーバーサイトの責任はだれがとるのかというと、監査委員会の責任分野と考える上場企業の取締役が非常に多い(67%)と報告されています。しかし、監査委員会のオーバーサイトは財務諸表関係が主で、その他の多くの領域は監査委員会の領域を超えるのであり、もともとリスクのオーバーサイトは取締役会全体の責任範疇なのだから、それを再認識して十分なリスクのオーバーサイトができるように、取締役会の最適構成を維持すべきであると主張しています。他方、執行側のマネジメントもシニア・マネジメントのレベルで責任分担を明確に決めて取り組むこと、リスク・マネジメントの能力を高めることを求めています。

ここまで読んで、リスクのオーバーサイトが取締役会の責任範疇であることを、なんで今さら強調しなければならないのかと疑問を持ちました。また、日本の会社法ならば取締役の監視義務・善菅注意義務からいえば取締役会及び個々の取締役が責任を問われるのは当たり前の話ですが、なぜ監査委員会の責任なのだと多くの取締役が思い込んでいるのでしょうか。

取締役会が委員会を構成してそこに権限を委譲すれば、その委員会に帰属しない取締役たちは、その委員会に帰属する取締役を信頼してよく、当該委員会の構成や活動や結論が著しく不合理でない限り、責任は問われないという信頼の原則が働いていると思いますが、この原則の働く範囲が広すぎて、取締役会の無責任状況を作り出していたという反省はないのでしょうか。つまり、よほどのことがない限り、取締役会は各委員会の取締役にお任せしていればいい=取締役会のオーバーサイトもその程度でよろしい、というかなりゆるい監視レベルの設定がまずいという発想は、ないのでしょうか。

取締役会のオーバーサイトは委員会を通じてなされるが、その構造は、委員会がオーバーサイトし、取締役会が委員会をオーバーサイトし、この順番で監視が要求されるレベル感がおちるということでは、いくら委員会を強化したところで限度があるのではないでしょうか。もう少し細かくいうと以下のようなことになります。

実際、多くの金融機関の取締役会がリスク委員会を設置していたと思うのですが、それが機能しませんでした。金融危機の引金となったCDSやCDOの市場リスクやカウンターパーティリスクを理解するためには、証券化市場や市場一般の動向、商品のリスクの理解、自社のポジションの適正性、取引相手のポジション等を考慮したうえで、的確に現状のリスクを見極める高度の専門性が必要であったことは明白で、いくら委員会を強化しても、こういったことについての高度の専門性と経験がある委員が入っていなければ、うまく機能しないのではないかと思います。

してみると取締役会としては取締役の構成と委員会委員の人選にあたっては、相当な注意をもって行っていることが要求されており、また各委員会の報告についても、取締役会は今までよりも、より精度が高い監視をしなければ義務を果たしたことにはならない、としないと改善にはつながらないのではないかと思います。

また、執行側にリスク・マネジメントの能力を高めることを求めていますが、それはある意味、コインの表と裏のようなものです。つまり、執行側の能力が高まれば、オーバーサイトする側もその能力を高めなければ、有効なオーバーサイトは実行できないはずです。理解できない人間がオーバーサイトできるわけはないのです。

かくして、私は、取締役会の責任=注意義務の範囲はこれまでどおりと変えないで改革したいということなのかと、うがった見方をしそうです。取締役会のオーバーサイトの意味と、信頼の原則がどう働くのかをもっと詰めないと、形式的に委員会に専門性が高そうな人をひっぱってきて、その委員会に属しない取締役はそれで安心ということになりはしないか、と思います。それでは何ら実態は変わらないことになるでしょう。

2.NACDの提案の疑問②-戦略のオーバーサイト

『これまでの経済危機を振り返ってみると、危機の最中では法規制の強化に対応すべくコンプライアンスが重視され、戦略の作成、見直しが後回しにされがちであった。しかし、戦略を見直し、リスクを低減した新たな戦略に果敢に挑戦していくことが危機管理においてより重要である。』(佐藤・前掲76頁)

この記述の意味は何なのでしょうか、危機の中の法規制の強化はリスク回避にむけられており、それに対するコンプライアンスはまさにリスク回避そのものです。この言い方では、コンプライアンスばかりやってないで危機の真っ最中でも戦略をもっとやってやってください、とも受け取れます。

しかし、投資銀行に勤務した経験からいえば、金融危機が現実に始まれば、一刻一刻と変わっていく市場環境の中で「今」を乗り切ることに全力を集中しなければならず、また、それだけで手いっぱいです。その中で戦略を練るゆとりのある会社など、一社もないのではないかと思います。

ただ、危機を察知して証券化商品のリスクを大幅に減らしてダメージを抑えたクレディ・スイスのような例もありますが、それは市場からの危険信号を危機が始まる前に(あるいは皆が危機と思っていないけれども危機が始まっていると考えて)皆よりはやく行動できたということです。

したがって、重要なのは、危機のさなかにコンプライアンスに目をうばわれずに戦略をねることではなく、危機が発生する前に、リスクを察知し、適正に評価して、戦略を作成して実行していくことです。その際に、法令等遵守ができないことにより発生するスクを適切にコントロールするコンプライアンスの意義はいささかも変わらないし、変わってはならないということだと思います。もし、NACDが戦略立案をコンプライアンスの上位においているとしたら、私としてはそのアプローチには異議があります。

結局、ここでも重要なのは、リスクをどのように正確に認識するかという点です。金融危機の場合は、CDSやCDOというリスク商品がリスクがみえない形で市場に大きく拡散することによる落とし穴と、不動産バブルの崩壊が証券化市場と市場全体に与える影響を正確に見定めることであったと思います。正確なリスク認識なくして、戦略はつくれません。となると、戦略のみにフォーカスした主張は、本質的な部分で誤った対応を招くと考えます。

3.NACDの提案の疑問③-役員報酬の承認

取締役の88%がCEOの報酬はあまりにも高額で、報酬の格差が拡大していることに懸念が表明されています。これを是正するために、役員報酬の方針の明確性、公正性、透明性を図ることがあらためて主張されていますが、これらは昔から主張されていることであり目新しくありません。また、報酬委員会が独立取締役で構成されるべきことも新規性はありません。人材の社内育成という点もそうです。

Say on Pay(役員報酬の公開と株主総会での議決)については、そういう会社が2006年の4件から2008年の72件に増えたとレポートしていますが、それについての考えをNACDは明らかにしていないようですし、これを原則とすべきだとも主張していません。

金融危機でダメージを大きく受けた企業では、独立取締役とはいってもCEOのお友達にすぎなかったことが今回の金融危機ではっきりしたとさまざまなところで批判されているわけですから、いくら独立性の強化を叫んでも限度があるのではないかと感じています。それではなぜ別の形での統制をおこなわないのでしょうか。NACDの主張は物足りないし、対応として不十分ではないかと思います。

もしかしたら、米国には株主に対する不信感があるのかもしれませんね。あれだけ個人の利益追求を良しとする文化ですから、株主に大きな権限をあたえると、より短期の利益を追求する利益相反問題が深刻になると思っているのかもしれませんね。

4.NACDの提案の疑問④-ステークホルダーへの透明性ある説明責任

より透明性のある説明責任をはたすため、質の高い情報の公正な開示、説明方法に電子的情報公開をよりすすめることが必要とされており、まったく違和感はありません。

ただ、金融危機のような事態は、「あぶない」と警告する市場参加者がいた一方で、たくさんの金融機関が「だれも動かなかった」という事情があります。それはなぜなのか。株主でさえ、また機関投資家でさえ迅速に動くことを求めなかったのですから、これは情報開示の問題だけで解決されないものであるように思います。人間行動の不思議さがからんでおり、行動科学に基づいた何らかの知恵や解決がいると感じています。

先日、テレビをみていましたら、こんな実験をしていました。

1人の学生を部屋によび、学力のテストを始める。5分くらいたつと部屋に煙が入ってくる。学生は最初戸惑うが、煙が入り続けるのをみて、すぐに部屋から出ていく。これを5~6人の学生を集めて行う。最初はみな戸惑うが周りを見て誰も動かないで、もくもくとテストを続ける。煙がどんどん入ってきても部屋から出ようとはしない。ときどき不安そうだが、自分では席を立とうとしない。

今回の金融危機とそっくりですね。この人間行動をどう抑制するシステムをつくるか、考えるべきではないでしょうか。

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いずれにしても、佐藤さんの本は非常に興味深く、この他にもエージェンシー理論とスチュワードシップ理論、ハイブリッドガバナンスの考えなどについても思っていることがありますが、これは次に書きたいと思います。

2010年9月12日 (日)

新司法試験と法科大学院の教育-講師としての体験談

本年度の新司法試験の結果が発表されました。私が企業法ゼミを教えている一橋大学法科大学院は受験者138名で最終合格者が69名、合格率は50%でした。本年度の新司法試験の平均合格率が25.4%です。慶応義塾とならんで合格率1位を常に争っているレベルにいることは、講師としては誠に喜ばしいことです。他方、私の母校、早稲田大学は397名の受験者に対して合格者は130名、合格率が32.7%でした。この合格率の差は、早稲田が未習者を中心とした法科大学院であるのに対して、一橋や慶応は、未習者の割合が圧倒的に少ないことからくるのであろうと想像しております。

私の企業法ゼミの学生は、昨年度受験したゼミ第1期生で不合格となった1名が本年めでたく合格したことにより100%合格をはたし、本年受験した第2期生は75%が合格しました。残念な結果となった学生諸君には、気を落とすことなく、来年を目指して再チャレンジしてもらえば、必ずやリベンジを果たしてくれるものと思っております。その実力は十分あります。

なぜ、私のゼミの学生の合格率は高いのか?しかも、少数含まれている未習者がすべて合格しているのはなぜなのか。別に司法試験対策をするゼミではないし、私の教え方がうまいからというわけではありません。私のゼミは、10名~12名の学生しか登録しませんが、各業種で活躍する現役の社内弁護士をゲストにお招きし、現場ででてくる現代的な問題を事例方式でみんなで検討していく実践性の極めて高いゼミです。取り扱う法律も、民法のような基本法にとどまらず、金融商品取引法、会社法、金融商品販売法、銀行法、保険業法、プロバイダー責任法、電気通信法、放送法、下請法、労働基準法、薬事法等、きわめて多様です。司法試験の受験には、ただちに役にたちませんから、意欲ある学生のみが選択してきます。

しかし、多種多様な法律がでてくるとはいえ、私が学生達に強調しているのは、民法の学習を絶対に怠らないことであります。法律家として30年も40年もやっていくうえで大切な法的基礎は、民法の体系的理解がどれくらい身についているかにあると考えているからです。実際、授業で取り扱う多様な法律の解釈や適用にも、民法的な概念や思考方法があちらこちらに首をだします。

民法の学習は、講義を聞いて基本書と条文と判例を丹念に読み込むこと、そして事例を取り上げ解釈適用する訓練を、討論と書いてまとめることで繰り返すことに尽きると思っています。私は早稲田の学生時代に、下森定先生(元法政大学総長)の民法ゼミで鍛えられて実践してきました。下森ゼミからは、旧司法試験時代でもかなりの合格者がでていたのも、このことが実践されていたからだと思います。

私のゼミ生は、かなり民法の基礎が身についている人が既習者・未習者とも多いです。学生に対する質問をしてみると、どれくらい条文と理論の理解ができているかはすぐわかります。授業のなかでは、すべての学生を数回あてて質問をするやり方により、学生の考え方の筋道をただしていくので、学生は息がぬけません。ですから、授業自体でも、相当、身につくと思うのですが、その中でも、民法がでてきたら、あるいは民法的な考えがでてくれば理解が十分かチェックしています。

授業では期末のレポートまでは、ほとんど書き物の提出を要求しません。私のみるところ、論文を書くということになると、ずいぶんと個人差があるといえます。これは、論点の指摘をすること、法律の解釈を示すこと、要件の適用を事実にするにあたって事実を選択して指摘すること、結論を示すことということ、といった各作業を紙に書くとなるとけっこう難しく、慣れも必要であるということであろうと思います。

企業法ゼミでは試験のかわりに、事例を出してそれに対する法的分析のレポートの提出を求めます。忙しい中、20日未満という期間で長い事例に含まれる論点に関する文献、判例を調査し、指定された枚数のレポートを仕上げるのは、けっこうしんどい作業であるにちがいありません。しかも、レポートの形式を、たとえば、「法務部が経営企画部の人間にわかるように、結論を先に示して、その理由をあとからのべる形式にしてA4で3枚でまとめろ」、というような限定をつけていますから、その条件をクリアできるよう書くのに必要な事項を選ぶということもしなければなりません。なお、期末レポートには詳細な解説をあとから配布しています。今年度の解説も、A4で30ページちかいものを配布しました(準備は大変ですが)。今のところ、レポートのできのいい学生ほど合格の確率は高いといえます。

民法の体系的知識の習得は、法律家としての「伸びしろ」を決めます。そしてこれが身に付いてくると憲法、刑法、会社法、民訴、刑訴、行政法の学習もずいぶんと楽になってくるはずです。これをいかに学校としてアシストできるかが、学生の新司法試験突破につながりますし、将来の法律家としての伸びにつながると考えます。

基礎的な理解こそが司法試験でチェックされる項目であるならば、基礎的なことを身につけることにこそ教育の目標を置くことが必要でしょう。さまざまな法領域を取り扱うことを法科大学院は競っていますが、その大学院の質を決めるのは、やはり基礎をしっかりと身につけさせるような工夫を3年間(既習者は2年間)貫いているか、ということではないかと思います。

なお、基本法の理解には時間がかかるので、未習者の方はやはり学習が大変であると思います。今の法科大学院のカリキュラムは、基礎の習得に十分な時間をさいているかどうか、また、未習者に対しての教え方に問題はないかは、もっと検討されなければならない課題であると思います。今の未習者の低い合格率は、やはり法科大学院教育に大きな改善の課題があることを突き付けていると思います。

2010年9月 4日 (土)

日本内部統制研究学会大会第3回年次大会で話します

いよいよ月曜日に日本内部統制研究学会第3回年次大会が、東京・市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷(私学会館)で行われます。私は統一論題「内部統制報告制度による企業価値向上-制度のさらなる進化に向けて」に報告発表者、討論者として参加します。

企業会計審議会で審議が行われている内部統制報告制度の改善の論点にはあえて踏み込まず、企業価値向上のための内部統制報告制度とはいったい何をイメージしているのか、というところから、コーポレート・ガバナンス論、監査役の監査、独立取締役の機能などとリンクさせて、大きな視点で「企業価値」の向上のための内部統制報告制度の機能をいかに向上させるかという点について報告するつもりです。

私としては、とかくテクニカルな議論に陥りやすい内部統制報告制度を、コーポレート・ガバナンスというシステムを構成する一制度として位置づけて、システムを構成する他の制度とどのように関連付ければガバナンスが強化されるのかということを、学会としてはもう少し考えるべきであるという問題提起のつもりで、報告と討論をさせていただくつもりです。

内部統制報告制度は開示の制度なので、制度に詳しい方の間では開示のシステムとしてどうすべきかという議論になりがちです。学会は公認会計士やコンサルタントの方が多いので、どうもそういった傾向にあるな~と感じていたのですが、「内部統制研究」学会なのですから、財務報告の信頼性に係る内部統制だけでなく、業務の効率性・有効性や法令等遵守に係る内部統制にも踏み込んで語る必要があるなと感じていました。ということは、それを行うとなるとガバナンス全体を語るということになります。

そういう議論を行う際に、重要なのは、開示の制度は開示だけと割り切らないことではないかと思っています。たしかに、内部統制報告制度は経営者が自己評価してその結果を開示する制度ですが、その過程では、内部統制の整備及び運用状況が継続して見直されていくPDCAサイクルが想定されています。つまり、制度としては開示なのだが、機能としては上場企業に内部統制構築を間接的に促している制度です。初年度の内部統制報告に関する各種アンケート調査において、内部統制が強化されたと回答している企業が非常に多数でているのは、内部統制報告準備を通じて企業に財務報告の信頼性に係る内部統制を強化させるという金融庁のもくろみが成功したといえる証であると思います。

それでは、そういう機能にすなおに着目して、取締役の善感注意義務としての内部統制構築義務や法令等遵守の機能、取締役会のガバナンスの機能にどう結び付けていけばガバナンス全体がよくなるか、という切り口が必要ではないかと思います。というのも今の内部統制報告制度の最大の弱点は、取締役会において気にしている取締役が少ない、場合によっては社長も財務担当取締役になげているという点にあるのではないか、そして、そのしわよせは監査役がかなりかぶっているのではないかと、感じているからです。内部統制報告制度がより機能するためには、取締役会をどう関与させるべきかということが大事であると考えています。

ご興味がある方は、統一論題の議論だけでもぜひ来ていただければうれしく思います。統一論題の報告は午後2時40分開始です。

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