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2009年11月17日 (火)

上村教授が語る公開会社法(4)

上村先生と中村先生の座談会備忘録4回目です。

上村先生は、前回まとめた法人という危険要素のほかに「市場」という危険要素があるといいます。市場でなんでも買えたから支配できるという要素は、人間を見失わせる、しかし、市場は大事という趣旨のようですが、非常に分かりにくいです。個人の尊重と法人に対する警戒とは表裏の関係にあるという教授が、市場を大事にするということは、市場というものが個人の尊重と表裏の関係にあるということを意味するのかどうか明確ではありません。ただ、上村先生は市場の論理とデモクラシーとの論理との調整という発想がご自分の発想の基本と語っているので、市場は個人の尊重を害する側面があると見ているということなのでしょう。

また、グローバル市場経済に対抗するデモクラシーが必要で、それは「ドメスティック、という矛盾こそが本質」と主張されますが、よくわからないです。さらに、それがちゃんとできなかったという例として小泉改革を取り上げ、小泉改革においては法的な感覚が欠如していた、そういう感覚がないまま市場を操ったことが、小泉・竹中路線の根本的欠陥だと断言されます。

日本の金融市場改革と一緒に走ってきた私としては、賛同できないご意見であると思います。1997年から行われた金融検査・証券検査による行政処分の山と、それと同時に走った証券取引法及び金融商品取引法、銀行法、信託法、信託業法、保険業法その他数多くの法律改正が行われた時代とは、一言で言えば「ルールの厳格化・明確化と業者の自己規律、投資家の保護が非常に強調された時代」でした。

法的感覚が欠如した、といわれては、金融に関わってきた実務家はほとんどが驚いてしまうほかないでしょう。この過去12年の金融規制の歴史は、まさに「法化」だったはずです。なお、私は規制を受ける側にいました。全ての改革についてハッピーであったわけではなかったことは過去のブログの記事でもおわかりでしょう。そうであっても、規制当局に法的感覚が欠如していたとは、とても思えません。我々は裁量の余地が入りすぎる金融規制を批判していたのであって、それは理想の形とスピードで実行されたのではないし、すべての市場関係者を満足させるものではなかったけれども、進捗していたと思います。

こういう認識を披瀝された上村先生は、公開会社法の根底にあるこうした上村流「理念型」によって議論をすることが、欧米の経験や体験を理論化、抽象化することにつながり、無駄な失敗を繰り返さないことにつながると主張されます。いままでの議論についての私の疑問からみてもわかるとおり、このような上村先生の御主張は、私には理解が難しいです。

というわけで、正直言って、なぜ公開会社法が必要なのか、上村先生のご説明では、まだまだ理解できないというのが現状です。(続く)

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