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2009年6月16日 (火)

日経コラム「株主による企業統治を疑う」を疑う

ブログのデザインを季節にあわせて変えてみました。四季折々の変化に合わせる日本人の美感はすばらしいものがあり、私もそういうものを忘れないように季節にあわせてブログデザインを変えてみようと思います。

ところで、6月11日付の日経新聞のマーケット総合の囲み記事「大磯・小磯大機小機」に、「株主による企業統治を疑う」というコラムが掲載されています。企業を取り巻くステークホルダーには、株主、従業員、債権者、地域社会とさまざまな集団がいるのに、なぜ、株主が企業統治に「過大とも言える大きな権限」が与えられているのかと、いきなり、「株主には過大とも言える大きな権限が与えられる」という結論から出発して、議論を展開しています。

はじめに結論ありきの論調にも我慢して読み進むと、株主に「大きな権限」が与えられている理由は、結局は株主はほかの利害関係集団への分配が済んだ後の剰余である利益の一部しか受け取ることができないからとしか説明できない、といっています。しかし、リスクを負担しているのは株主だけではなくこの回答も説得力に欠けるといって、理屈はないが歴史的な経緯でこうなったのだというのが最も誠実な回答かもしれない、といっています。

さらに、こう考えると企業統治の権限と責任を誰が持つべきかについて、基本的に考え直す余地はありそうだとして、「特に日本では会社と従業員は終身雇用という書かれざる契約をしている。」といいます。

さらに続けて、「取引先とも長期で継続的な取引の慣行がある。これらの利害関係集団にも企業統治の権限を与えてもよい。」といっています。

そして「株主に大きな権利を与えることが株主の利益につながるのではない。実際、株主主権と言い始めてから日本企業の競争力が弱くなり、株価も上がらなくなった。この点について冷静に反省してみる必要がある。」と結論をしています。

この論者が結局いいたいことは最後の部分だったようです。

株主が取締役の選任・解任を通じて会社の経営を間接的にコントロールしているのが会社法の構造ですが、いったい何をさして「過大とも言える強大な権限」といっているのでしょうか。会社法でいう非公開会社、すなわち株式の譲渡制限が定められている会社ならばともかかくも、原則として、株主は取締役の選任・解任について年1回の株主総会で議決権を行使するという間接的方法でしか会社経営を左右できません。

株主に対してなぜこのような支配権が与えられているのかという問いについて、会社法における学説では、債権者が自分の債権の満足を得られればよいのに対して、それに劣後する立場の株主は企業価値の増大にもっとも強いインセンティブがあるからだと説明されたりもしています。もちろん、企業をとりまくさまざまなステークホルダーの立場を考慮すると、株主に対して会社の支配権を与えることがあたりまえというわけではないと指摘されていますが、この論者のように歴史的経緯によるというのがもっとも誠実な回答であるという説は初めて聞きます。

企業統治に誰が責任をもつべきかについて基本的に考える余地あり、というのに異議を申すつもりはありません。それ自体大変大切なテーマです。しかし、日本の企業が終身雇用であるという神話はとっくの昔に崩れ去っており、しかも正規従業員と派遣従業員との違いがいまや日本の会社の足をひっぱっているという認識が広まりだしているときに、終身雇用という見えざる契約があるというのは、最後の「株主に大きな権利を与えることが株主の利益につながるのではない。実際、株主主権と言い始めてから日本企業の競争力が弱くなり、株価も上がらなくなった。」ということをなんとか理屈付けようとしているだけでしょう。

しかし、株主主権といい始めて日本企業の競争力が弱くなったというのは、根拠を示さない無茶な主張というべきでしょう。ものいう株主に対する嫌悪感の表明にしかすぎません。カルパースがアクティブに発言を開始しはじめて、カルパースの保有している株式は5年間で40%価値が増大したという事実があります。日本企業において企業価値の増大という言葉があらわれたのも、物言う株主が増大してからのことで、それまではROEが1%、2%なんて企業はざらだったはずです。競争力が弱まったとするならば、もっとほかの理由があるはずです。株主がものをいうようになったから競争力がなくなったというのは、株主総会を前にして株主にだまれといっているに等しく、このようなコラムを掲載した日経新聞の良識が疑われます。

今、日本では第三者割当増資やMSCBの発行のような既存株主の利益を犠牲にするような現象にどのような歯止めをかけるかという議論をしている最中であり、取引所や金融庁が社外取締役設置義務論を展開するのに対して、経済界は監査役有用論を展開してこれに強く反対しています。結局、経団連側に譲歩する形で今回は収束したわけですが、問題は企業のガバナンスの強化には何が重要かであり、経団連の論理にのれば監査役機能の強化の方向にいくはずです。しかし、その基本的視点は、どちらの立場でも「株主の視点」「企業価値の向上」なのです。あまりに時代の動きに離れた「ため」にする議論が一流と目される新聞のマーケット欄にあらわれるのは、わが国経済ジャーナリズムの紙価を低めるものであり、残念といわざるを得ません。

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